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塾長コラム

【塾長コラム】ならず者だらけの国際社会に生きる②/R15

プーチンをならず者と罵るまでは良しとして、このコラムに“15歳以上制限”をつけた理由はここからにある。ここからの私の見解は教科書の内容を超えてしまうので知識のあるオトナがサポートしながら読み進んでいただきたい。いうまでもなく、受験には役立たないこともお許し願いたい。

 塾長である私は、普段から部下たちに教科書の内容をはみだして指導してもよいと伝えている。英語も数学も、理科や国語も「これはフツウは高校にいってから学ぶ内容だけど」と注意喚起しながら、それぞれの先生のインテリジェンスの深さや広さに自由度をあたえている。

 勉強クラブには、教科書の太文字の部分だけを暗記させて学校の定期テストを何とか乗り越えさせるクラスと、将来エリートとして人々の先頭にたって生きていくかもしれない面々のクラスもある。簡単にいうと、それなりの大学などに進む予定の子たちには、今、灘校麻布中開成中の子たちがどのレベルの深さで学んでいるかを意識してあげなければ、将来肩身のせまい思いをさせてしまいかねないからだ。
 こうなっているんだよと“教える”のではなく、どうしてそうなってると思う? と問いかけ“考えさせる”授業が必要になる。

 しかし、社会科の授業は難しい。とくに戦争や軍備、国家のしくみ、政治に関しての学びにはデリケートな問題が含まれている。
 軍備や自衛隊にまつわる憲法改正などの学習には、即、現存する政党の支持率に影響してしまいかねない事柄もあり、一つに偏らないようなバランス感覚が必要でもある。

 ロシア連邦も、朝鮮民主主義人民共和国もいうまでもなく体裁は民主国家だ。選挙だってある。巷間つたえられているようにロシアには大統領の支持率調査などもあって、なんとウクライナに戦争をしかけたプーチンの国内支持率は80%を越えているという。
 “教育”は、そうした点で、案外恐ろしいのだ。

 だから、歴史教育に関しては学校自体にまだ揺れが生じている。例えば──
 今から四十年ほど前、私の大学時代の学友は国語科教員として埼玉県の公立高校に赴任したのだが、彼の卒論のテーマがたまたま『古事記』であると知った校長は、すまなそうに「ウチの高校はアレでね、日の丸とか君が代がぜんぜんダメな学校だから…」と最初に頭を下げたそうだ。それからだいぶ時間が過ぎているから日教組が左翼系で管理職は保守系という担ぐ指示政党の色分けはとっくに解消していると想像したいし、よもやその程度のレベルで教壇に立っている教員は駆逐されてると願いたいが、さて、どうだろう。

 私は、2月にロシアのウクライナ侵攻が始まってまもなく中学校の現行の歴史教科書を改めて読みかえしてみた。第一次世界大戦後に米国の大統領ウッドロー・ウィルソンが国際連盟設立を提唱したあたりから太平洋戦争後に日本が国際社会に復帰していく辺り。66歳の私が50年前に中学校で習ったものとどんなに変化しているかと期待したが、まったくの期待外れだった。こりゃ、マジに教える気がないのでは? と、疑わせるほど内容が薄い。

 まだまだ、中学校では太平洋戦争後の歴史指導についてビクビクしながら向き合っているようだ。
 現在十五歳の子供たちの“将来の時間”は長い。彼らの人生に襲いかかってくる不幸はほんとうに大地震大津波だけだろうか? この子たちの幸せのためにもっとアクチャルな真に有益な社会科教育は実現できぬのだろうか。

 ──そこが問題。
 選挙権を18歳からと引き下げたりしても若者の政治離れが一層加速しているらしい。理由は簡単。そもそも学校で正面から政治や戦争を教えるのをためらっているからだ。平和が大事だ、戦争はいけないと、先生もマスコミもこぞって同じトーンで一様にリアリティのない使い古しの言葉を発しているだけだからだ。
 片や、メディアは一方でモザイクのかかった戦場の凄まじい屍体映像をたれ流す。子供たちは混乱するにきまってるではないか。

 「戦争反対」と虚ろなスローガンをつぶやきながら、具体的にどうするかという応用問題が解けないでいる。大人たちが率先して思考を更新しなければ、目の前で起こる現実にただただふりまわされるだけだ。

 プーチンや金正恩は、ああいうキャラのニンゲンなので困ったことに『文明社会』の国家指導者としてそれは言っちゃだめでしょ的な発言をすでに堂々と言い放っている。性能の良い核兵器を持ち得ているのは仕方ない。我々がそういう時代に生きているのだから。しかし、「それを使うぞ」と言ってしまったら国際社会の中で栄誉ある文明人として存在する資格は到底ない。最低のルール違反である。
 でも、ならず者たちは、言いのけちゃってるのである。

 私が尊敬する憲法学者、倉山 満氏の著作に次の文章がある。
 ──国際社会において何者の支配にも服さない主権国家であると証明する資格は、究極的には軍事力である。軍事力は外交力の源である。そして、軍事力の源は経済力である。言わば、鉄(*軍事力)と金(*経済力)と紙(*文化力)である。この三つの総合力が国力である。国として自立できる力のある者だけが国際社会で生きていける。それが国際法の適用される国際社会である。逆に、力のない者に文明の力は適用されないとするのが、ヨーロッパ人の決めた文明であった。
   (『日本人だけが知らない本当の世界史』より/*印、塾長註)

 いくら自国の憲法が懸命に戦争を放棄しようとしていても、国際社会には、ならず者国家がたくさんあって秩序を平気で乱してくる。さあ、それからが問題、わたしたち日本国民は、このあと具体的にどう行動すべきなのだろうか?
 困った(遺憾である)、許しがたい、ただそうつぶやいていても始まらない。

 だから軍備を増強する? 核兵器とかも持ってしまう?

 うーん、そんな単純な解答だと、エリートクラスには残れません。
”を動員して、もっと深く考えなくては……

 大事なのは、我々が脈々と重ねられた歴史の中に在るという認識と、なにより『文明人』としての自覚だと思う。

──ロシアがウクライナに侵攻した年の憲法記念日に、2022年。

勉強クラブ塾長 深 谷 仁 一
日本放送作家協会・日本脚本家連盟員

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