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★なぜ、テストを受けるのだろう?/再掲

「・・・テストっていやだな」



 夏期講習の中、額に汗をにじませながら教室に入る小学生が、ボソリとこぼしたひとこと。本当に自然に口をついたことばだけに、それは、ことさら重たいつぶやきのように感じました。


 この世の中に「テスト」が好きなニンゲンは、あまりいません。
 『点数』というはっきりしたかたちで、自分のなにがしかの能力をバッサリ診断されるのは、非常にドキドキするものです。痛いくらいに・・・。


 ふだんの毎日の暮らしの中で、ヒトは、自分の生きる姿勢がどれほどの値打ちのものかうすうす感じながら生きているものです。たとえば、「今日はしっかり勉強したの?」とお母さんから問われなくても、今日のボクの受験生としての正しさ、すなわちどのくらいイイ感じに勉強できたかどうかについては、まあまあの自己判定をしながら毎日を過ごしているものです。今日は少しウマくいかなかったから、明日はもう少しマジにならないといけないな、などと案外殊勝なキモチで毎日を過ごしているものです。


 ただ、そうした自己判定にはアバウトさがつきもので、幾らかのごまかしが含まれていることも少なくありません。今日の自分は「少しウマくいかなかった」として、そのウマくなかった度がどれほどのものか、客観的な数値に表したりするヒトはめったにいません。
 はっきりとした数値で良いのか悪いのかを判断するのではなく、もしかしたら、かなり意図的に、わざとあいまいなふわふわっとした判断をし、その中で有頂天になったり適度に反省したりしているのかもしれません。だれにとっても、本当の自分のすがたをありのままに見るというのは、ちょっぴり怖いことなのでしょう。


 だからこそ、テストは、とてもドキドキするのです
 とにかく、バッサリと数値によって可否(良いのか・悪いのか)を表面化してしまいます。テストの点数は、自己欺瞞(ジコギマン/自分をごまかすこと)を許してくれず、あいまいさやふあふあ感はありませんから、結果が良ければいいのですが、悪かったときは、穏やかな気持ちでいられるヒトは、まず、いません。


 そして、そこにこそ、テストを受ける大切な意義があります。


 勉強だけでなく、スポーツでも芸術的世界でも、自分の能力をたかめようとする行為のプロセスには、『リアリティ』が不可欠です。
 いくつかの技能(勉強の場合には“段階”)をスラスラと難なく身につけられればいいのですが、実際には、多くのつまずきや試行錯誤のくりかえしがなければ、本物の能力は自分のものになっていきません。
 勉強でいうと、骨太の実力を身につけるためには、その過程で自らの欠点や弱点をしっかり現実として受け止めて、その改善に努力するという過程が必要です。


 テストは、その、自らの現在の状態(とくに、不足しているところ)を識るための大切な道具なのです。自分の本当の姿を思い知らされるのは、実につらいことです。でも、自分の現状をまずしっかりうけとめて、それをどう改善・改良していくかが、その具体的な行動こそが、このあとのキミの大きなチカラの源泉になっていくのです。


 テストを受けるのは、痛いほどドキドキするものです。でも、決して怖じけづいてはいけません! しっかりと自分に向き合ってこそ、かならずや、その先の進歩へとつながる。絶対に!
 頑張れ!


                                             勉強クラブ塾長 深谷仁一/日本脚本家連盟員


※以上の文章は2012年8月末に当HPに掲載したものです。前期末テストが近づきましたので、再度、UPいたしました。


                                            

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