進学教室 勉強クラブ
本 校
048-953-4768
南教室
048-948-0030
お問い合わせ専用フリーダイアル
®0120-7-37415
お問い合わせ・資料請求
塾長コラム

【塾長コラム】ならず者だらけの国際社会に生きる①/R15

【※憲法記念日に、ロシアのウクライナ侵攻について思う】

 わが国が二つの原爆投下にみまわれた1945年、米英ソなどの戦勝国は集まって国際連合を成立させた。その『国際連合憲章』の前文には以下の宣言が見られる──

 (一部抜粋)われら連合国の人民は、基本的人権と人間の尊厳及び大小各国の同権を確認し、正義と条約その他の国際法の尊重を維持し、(中略)善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、(中略)われらの努力を結集することを決意した。

 また、翌1946年、わが国は『日本国憲法』を作り、
 ──日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう(一部略)と前文に掲げた。

 二つの悲惨な世界大戦を経験したわれら人類は、互いに成熟した『文明国』の一員として、今後はもう戦争は避けようと、あのとき誓ったのだった。

 わが日本国は、その後国連に加盟し、国際社会の法を守り、いずれの国も自分たちと同じく前提として“平和”を何より大事にしているものだと信じて暮らしている。少なくとも、中学生たちが学ぶ社会科の教科書にはそう書かれている。いわゆる国連中心主義である。

 しかし、悲しいことだが、現実はどうやらそんなに甘いものではないらしい。
この2月、よりによってその国連常任理事国のロシアが、隣国ウクライナに侵攻し、連日のように破壊と残酷な殺戮(さつりく)シーンが報道されている。
 ミサイルなどの新しい兵器の残酷な破壊力の大きさもさることながら、テロではなく、れっきとした主権国家同士の戦争であることに、私は大きな衝撃をうけた。

         *

 ところで、残酷といえば、放映中の大河ドラマ『鎌倉殿の十三人』の中で、源頼朝が権力を拡大してゆく課程で次々に人を殺していくという場面が繰り返され、話題になっている。描き方が残酷過ぎるとの意見らしい。しかし、かつての武士の世の中を描いているのだからあれは正しいと、私は思う。一定の権力をにぎった英雄たちは、信長だって秀吉だって残酷な殺人者の一面があったにちがいないはずだ。
                         
 版図(はんと)を広げる、という言葉がある。人々を支配し力のおよぶ土地を拡大していくという意味なのだが、歴史上、大抵の権力者たちには一様にそういう行動傾向がある。TVドラマの源平合戦ではまさに頼朝が平家の支配地域を奪おうとしているし、信長も桶狭間の戦いで今川義元の命を奪いその領地を自らのものとした。わが国では元寇(げんこう)で認知されているモンゴル帝国のチンギスハン一族の侵攻軍は、西は広くヨーロッパ地域まで、ウクライナ・キーウどころかポーランド辺りまで支配圏を拡大させたこともよく知られている。
 
 信長は英雄として描かれるのに、何故、プーチンは批難されるべきなのか。

 それはいうまでもなく、プーチンが21世紀の現代に生きるニンゲンだからである。成熟した文明社会を作らんと皆で努力しなければならないこの時代の国家指導者として、許しがたい間違いを犯していると言わざるをえない。

 かつて20世紀の始めくらいまでの世界は、力のある国は欲しいままに世界に版図を広げていた。巨大な経済力や軍事力をもって他国を侵略する帝国主義(ていこくしゅぎ)の趨勢(すうせい)は、16世紀のスペイン、ポルトガルにはじまり、英国、フランス、ロシア(ソ連)、アメリカ、ドイツ、そしてほかならぬ日本へと続く。

 確かに、わが日本国は、英国などに倣って近代化を進める過程で必死になって朝鮮半島や中国大陸への力による侵略を行った。ともすれば英国やロシアなどの大国の餌食になりかねない危機の中で、殖産興業に励んで経済を拡大し、アジアで最初の近代憲法を整備し、法=条約にもとづいて国際関係を形作りながらも、まことに後ろめたいのだが、当時の後進国である韓国や中国大陸に版図を広げていった。
 大英帝国のような大国になろうと必死だった。わが国の帝国主義は、まさしく“国家の近代化”の目的の一つだったのである。
 何故か。
 それが当時の『文明』のかたちだったからである。

 しかし、それは、あくまでも1945年以前のことだった。

 1945年、われわれニンゲンは、自分たちの心の中にともすれば力ずくで残酷に相手をうちまかしたいという欲望が潜んでいることを認識しつつ、認識したうえで、理想をかかげたのである。 
 それが、国連憲章の「正義と条約その他の国際法を尊重し、善良な隣人として互に力を合わせ国際の平和を維持する」という約束だったのではないか。

 あのとき、我々人類は、文明を一歩前に進めようとしたのではなかったか。

 『文明』の対義語は『野蛮』、である。
 頼朝も信長もチンギスハンも一概に野蛮人と言い切ることはできない。文明のレベルがそういう時代だったからだ。しかし、21世紀に存在しているウラジーミル・プーチンの行為は明らかに『野蛮』と言っていい。

 戦(いくさ)に善いも悪いもない。しかし、大義がなくてどうして何千何万の人の命を犠牲にできようか。プーチンという男の脳の中にあるのは凋落(ちょうらく)しつつあるロシアという国家の版図をもとどおりの大きさにしたいという身勝手なイメージ=野望でしかない。幼稚で、野蛮そのものだ。

 この21世紀にあって、国際法を無視し、自らの野望をとげようとする。こんなならず者を決して許してはいけない。絶対に。

コラム②に続く──

勉強クラブ塾長 深 谷 仁 一
日本放送作家協会・日本脚本家連盟員

お問い合わせ・資料請求
PAGE TOP